臨済宗妙心寺派 大楊山 長慶寺

今川家菩堤寺 大楊山 長慶寺

長慶寺だより

12月に入り、今年もあと少しだなと思うのと一年の経つのが早いことに少し焦っております。

今は毎日、境内の紅葉の後片付けをしております。最近の長慶寺のニュースは、猿を見かけました。よっぽど山に食べ物が無いのか

人間と動物の住む場所が近くなってきているのでしょうか。市に相談したところ、これといった方法は無く、花火の音で追い払うしかないと

いうことで花火を何本かいただいてきました。

見かけはなんとなくかわいいのですが、やっぱり野生の猿ですから危険とのことです。

朝から日光が当たって居心地の良い場所のようで可哀想ですが、町内とご近所、猟友会の方にお願いして事は済みました。

 

【掲示板】

『生・老・病・死にちゃんと 向き合う心』

人は生まれ、老い、病気になったり、やがて死をむかえる事は誰でもやってきます。それは自分が直接経験したり、他人との関係で間接的に経験したりします。

しかし、間接的にでも経験しておかないと『生・老・病・死』を自分がむかえた時にどのようにして良いのか分からなくなってしまいます。

 

日本人には子供の時から生・老・病・死と皆でちゃんと向き合う習慣がありました。子供が生まれたら出産祝いに始まり成人式、就職祝いまで様々な生に対する習慣があります。

老では、60歳の還暦を契機に、70歳の古希、77歳の喜寿、80歳の傘寿と歳をとるごとに皆でお祝いします。病気をすればお見舞に病院にいきます。退院すれば退院祝いを持って皆に回ります。

亡くなった時には通夜やお葬式をして故人とのお別れをします。子供から大人まで皆で揃って『生・老・病・死』に向き合ってきました。

私たちは【生・老・病・死】を直接的、間接的に体験することで、なんとなく理解してきたのだと思います。

 

仏教に無明という言葉があります。無明とは真理に暗いことを指します。そして無明が苦しみをつくり出すと説きます。

真理とまでは言いませんが、生・老・病・死にちゃんと向き合う心は、自分の経験となって『生・老・病・死』から生じるいろいろな苦しみを和らげてくれます。

最近、法事の時などに「子供だから。」と言って、場を外させるのを目にします。子供の時こそ、生・老・病・死にちゃんと向き合わせてください。子供に命の尊厳を教えるのにとても良い場だと思います。

自分の身に何か起こって慌てないように『生・老・病・死』に、ちゃんと向き合える心を育てていきたいものです。